友達が観に行ってきたというので、それに感化されて久々に新宿まで出かけて、伊勢丹裏にあるテアトル新宿まで行ってきた。最近のシアターはいろいろと最新の設備を導入しているようで、ここテアトル新宿でも、Odessaという最新の音響システムが導入されているようだ。また、座席もふかふかで座り心地よく、さらには前の人の頭で見づらいというようなことがなく、よくスクリーンが見えて良かった。
さて、映画「ケイコ目を澄ませて」である。前評判が高いことは知っていたが、なるべく下調べをしないで見ることにした。
ケイコは聴覚障害者で生まれつき両耳が聞こえないのだが、ボクシングジムで練習に励み、プロとしてリングに立つ。とはいえ、ケイコは天才でもなく、才能があるわけでもなくごく平凡だ。ただ、練習熱心でジムのリングでコーチと練習に励む。でも試合ではボカボカ打たれて、あわやこれは負けかというような試合だったりする。我々健常者には気が付かないことだが、彼女は耳が聞こえないから、実はゴングの音やセコンドが指示することも聞こえないのだ。映画ではその音があえてよく聞こえるように思われた。サンドバッグをたたくグローブの音、パンチングマシンをたたく音、などいろいろな音がケイコの周りにはある。音が聞こえない彼女のために、セコンドは簡単なサインを決めて、それを見てもらうようにしていたりする。そうなると目だけが頼りとなる。聴覚に障害があるなかでプロボクサーをするのは、おそらく途方もなく大きなハンディキャップがあるのではないか、と想像できる。
そんな彼女の試合を見た母親からは、プロにもなれたし、もうやめてもいいんじゃない、と言われる。母親としては心配なのである。一方でケイコの心も揺れ動く。このままボクシングを続けるのかどうか思い悩む。生きづらい、不器用で、決して愛想笑いができない彼女の日常が描かれる。
川辺に立っていると、試合相手だった女性が現場着姿で現れて挨拶をしていく。それを見て、彼女も何かを考える。
淡々とした映画である。大きなドラマチックな盛り上がりはない。そのため、やや拍子抜けするのだが、聴覚障害を持ったケイコが迷いながらごく普通の生活する姿が映し出される。
一方で、はっと思ったのは、コロナ禍のなかで、コンビニの店員が話しかけてもマスクをしているから、何を言っているかわからない、また警官による話かけられても、マスクをしているからわからない、という場面だった。コロナ禍はますます生活しづらい状況を作り出しているのだ。
ボクシングジムを支える、二人のコーチがとても良い味を出している。
前回の映画記事もよかったらごらんください。
ではまた。