2023年函館マラソン(ハーフ)に参加するため、ことしも函館に行ってきた。
6月23日(金)に空路で函館に入り、翌24日(土)に少し観光をしたので、その模様を書きたい。札幌経由便だったので、プロペラ機で函館上空に来たところ、函館山の様子を見ることができた。
そして、函館空港へ向かう市街地の真上だ。
今回の宿泊は五稜郭公園前の電停に近い、法華クラブだ。ここは大浴場があり、朝のビュッフェがとても充実している。そして、一部屋のスペースにもゆとりがあるのでお勧めだ。
さて、土曜日の朝、朝食を終えると、五稜郭公園まで歩いて行ってみることにした。以前に五稜郭タワーには行っているので、今回はパスだ。
法華クラブから五稜郭公園の入口までは最短ルートで、約800m(徒歩10分)の距離だ。
行く途中、五稜郭公園に向かうと巨大なタワーが見えてくる。これが五稜郭タワーだ。
ここには土方歳三の銅像や函館戦争で使われた大砲などの遺物がいくつか置いてあった。
榎本武揚率いる旧幕府艦隊に合流して、蝦夷地に渡った土方歳三は五稜郭を拠点として、蝦夷共和国を作ったのだ。見どころは多い。
ここから五稜郭公園はすぐだ。下は五稜郭の入口だ。広大な公園が広がる。
ちょうど明日がマラソン大会なので、この周囲の遊歩道をランニングする人も見かけた。
下の堀を渡って行くと、五稜郭の中に入ることが出来る。
江戸時代、函館には函館奉行所が函館山の麓にあったのだが、外国艦船からの攻撃などには脆弱な場所ということで、平地に移転することになった。その移転先となったのが今の場所だ。
そして、「蘭学者」武田斐三郎がフランス軍人からの教授をもとにヨーロッパの「城郭都市」をモデルとして設計したのだ。この五角形の形は、五稜郭タワーから見るとよく分かり、素晴らしい。
朝早かったので、まだあまり人は来ていなかった。
美しい園内の様子だ。
この函館奉行所が置かれた、星方五角形の城塞都市の形状から五稜郭と呼ばれるようになったのだ。入場料は大人500円だった。
1857年頃から五稜郭の築造が始まり、1864年ごろに完成したという。ここでは、蝦夷地の統治、開拓についての業務や、諸外国との折衝・交渉の業務が行われたそうだ。
その後、大政奉還により幕府から新政府へ引き継がれたのだが、数奇な運命として、戊辰戦争の最後の舞台となったのが、この五稜郭なのだ。
奉行所の中庭の様子。
旧幕府海軍総裁の榎本武揚は艦隊を率いて蝦夷地へ渡り、ここ五稜郭を拠点として蝦夷共和国をつくることにした。しかし、新政府討伐軍との戦いに敗れ、幕末の動乱の歴史に終止符が打たれたのだ。
この今ある函館奉行所は平成22年に建てられたものだそうだ。
そして、この再建プロジェクトの模様を館内の映像で見ることができたのだが、実に緻密に復元をしようという心意気が感じられ、そしてまた各所の専門家、職人のプロフェッショナルが感じられてとても感動した。
精巧に作られた意匠だ。釘を隠すためのものだ。
三つ葉葵の御紋も作られた。瓦屋根の色の微妙な違いを出すために釉で色を調整したというから、とても芸が細かい。
この五稜郭公園・函館奉行所は、五稜郭タワーとともに見どころが多いのでお勧めだ。
ではまた。