少し前に井上靖の「しろばんば」を読み返したこともあり(その記事は下にリンク)、その小説の舞台となった湯ヶ島というところに興味を持った。温泉地であり、井上靖が幼少のころを過ごしたところであり、また川端康成の伊豆の踊子の舞台でもある。そんな場所なので、聖地巡礼ではないが、温泉旅行を兼ねて行ってみることにしたのだ。
目次
場所
湯ヶ島は伊豆半島の真ん中に位置している。私は車で行ったのだが、東名から伊豆縦貫道を通っていくと便利だ。電車で行く場合には、三島から修善寺まで伊豆箱根鉄道で行き、そこからバスで湯ヶ島へ向かうことができる。また、東京駅から踊り子号に乗って修善寺まで行くことができる。
「天城越え」で有名な天城山の北麓に位置している。山間では、清冽な気候を利用して、山葵(ワサビ)の栽培が行われているらしい。
小説「しろばんば」の舞台
湯ヶ島に到着すると宿に車を停めて、さっそく湯ヶ島の里を散策してみた。文学の郷として町おこしをしているようで、地図を見ると「しろばんば」で出てくるいろいろな場所に関する表示がいくつもあった。
旧湯ヶ島小学校の正門のところには、洪作とおぬい婆さんの象があった。
湯ヶ島小学校という記念碑がある。なお、ここは洪作が通っていた尋常小学校とは別の場所である。
近くには小説では「上の家」として出てきた、井上靖の母親の実家がそのまま残っている。小説世界を思い起こさせるものだ。洪作はしょっちゅうここへ出入りしていたのだ。そして、洪作が淡い思いをもっていた「さき子」もここで暮らしていたのだなあ、と感慨深く思った。
上の家についての説明書きだ。
その近くにはきれいな花に立派なアゲハ蝶が寄ってきていた。
近くには洪作とおぬい婆さんが暮らしていた土蔵の跡があったのだが、あまりに寂れてしまっていたので残念だった。写真を撮る気にならなかった。
近くには天城神社があった。ここは子どもたちが遊び場にしていた場所だ。また、さき子と中川基が腰かけて話をしていたところだ。
ここには実にユニークな顔・形をした狛犬が飾られていた。天城山の方向を見ているそうで、1765年に奉納されたものというから250年前のものだ。
そこから下田街道を横断して狩野川の渓谷へ降りていく湯道がある。
ここは西平の共同浴場へ洪作たちが降りて行った道だ。何とも感慨深い。
ここを下って行くと今回宿泊した宿や、共同浴場に行くことができる。渓谷沿いの道だ。聞こえるのは川の音と鳥のさえずりだけだ。
よく見ると道に沢蟹が歩いていた。(ここには映ってないが)
狩野川の流れだ。洪作にとってはこの川は他の川に劣らない立派な大河だった。
しろばんばについての記事は以下からご覧ください。
ではまた。